
3、平成11.12年度(橋本会長)
本格的に青空公園での展開が本格的に始動。どうしても青空公園での実施を理解いただこうと 当時委員長は毎日早朝、自主的に掃除をされていた。(誰も知らない事ながら、この思いが今につながっているのは確か)親会との打ち合わせも真剣勝負さながらの激論だった。皆 盛り上げていこうと熱い想いが満載。駅ビル屋上からのレーザーショー、駅前ロータリーでのスカイダンサーショー等 あらゆる演出もチャレンジした。LEDイルミネーションが全国各地で施され、注目され始めた。この頃 LEDイルミネーションが全国各地で施された。都会的な雰囲気を醸し出すLED。七色の電球はいかにも昭和に見え始めた。アンケートを集めて皆の声として、LED装飾にしようと、いろんな商業施設等でアンケートを実施した。
4、平成13・14年(池田会長)
青空公園会場が本格的に中心会場となり。御幸通りとの行き来が盛んになる。「線:から「面」への形ができてきた。その間のPH通り、商店街でのイベントも活発に展開され始めた。青年団、各種団体との協働も盛んに展開され始めた。当時 きらら博で大人気の「きらら元気伝説」をステージパフォーマンスで展開、あの感動が蘇った。